縋りたい。

 ――冬は寒い。
 意味も無い呟きを耳聡く聞きつけて私を嬲ったのは榎木津だった。東京の冬が寒いのは当たり前だバカ猿。温かいのであれば、沖縄になっちゃうだろ。あ、でも昔はここら辺一帯も寒冷地だったんだよな、ってことは、寒いのは当たり前ではないのか。なんだ、関!お前結構凄いこと言ってたのだな!猿のクセにえらいぞ!!
 昔とは、一体どれ程昔の事なのか。榎木津は訳の分からない事を一人で呟いて、私が話に付いていく前に勝手に納得して髪の毛をむちゃくちゃに撫で回したのだった。
 それが先日のことだ。
 
 私は京極堂の家の炬燵に縋りながら、丸きり同じ台詞を吐いていた。違うのは榎木津が居ない位だった。京極堂は真向かいだ。黙々と字面を追っている。
 私は鬱々しつつ眠りに身を任せようとしている。京極堂の居間は少し肌寒かった。炬燵だけで体を温めきれるものではない。炬燵布団からはみ出た肩は冷え掛かっていた。体が冷えると眠気が来る。しかし生暖かい気温でも眠気は来る。只の我侭なのだ。

「寒いのだったら、こんな所で寝るなんて止し給え。しかも炬燵だぞ。風邪を引くだろう」

 返事が今更返ってきた。

「居間が寒いのがいけない。寒いと眠くなる――」

「そんなの君の我侭だろうが。文句をそれ以上垂れる気なら、寒空の下に放り出すぜ」

「イヤだ・・・」

 殆ど炬燵に突っ伏した形になって呟いていた。眠い。パタンと音がして、はぁ、と髪の毛に京極堂の息が掛かった。溜息だろう。立ち上がって襖が開く音がしてどこかに行ったと思ったら、直ぐに帰ってきた。顔を上げる間も無く肩に柔らかいものが掛けられた。直ぐに体を起こして肩を見ると、半纏が掛けられていた。

「おや、温かいと君は目を覚ますのか」

 寒い寒いと煩かったから持って来たのだが、余計なお世話だったかね。
 少し意地の悪い事をいう。驚いただけじゃないか。

「――いや、使わせてもらうよ。ありがとう」

 たまに目に見えて優しくされると驚いてしまう。そしていつも素直に優しくされないから私も素直に礼の一つも言えやしないのだ。だから京極堂も私の態度に驚いている風だ。少しだけ目を見開いている。

「いつも君が素直だと、僕も接しやすい」

「君が優しくしてくれれば、私も素直になるよ」

 僕はいつも君には最大に優しくしているつもりだが。
 どこの国の基準だそれは。私は憎まれ口を小声で囁きながら、また炬燵に突っ伏した。しかし京極堂の思わぬ行動の所為で眠気は吹っ飛んでいた。眠い振りをして、炬燵に突っ伏してはいるが、目はしっかり開いてしまった。黒光りする津軽塗りは京極堂の書籍の背表紙に添えられた、骨ばった白い手を映している。

 ――あの手が見た目どおり、器用なのを知っている。

私の手は小さいし、指は短い。出来ることといったら箸を使う事に原稿用紙の上で万年筆を走らせるぐらいだ。余りの不器用さに、どこかのお嬢様か、と馬鹿にされる。
 時折、左手がチラリと動いて頁を捲る。寒い中で頁を捲っていると指先が冷えてくる。私はそうだ。京極堂の指は冷たくなってやしないのだろうか。気になった。
 炬燵に突っ伏したまま、津軽塗りの座卓に映りこんでいる指を呆然としたまま見詰める。やはり指が白くて寒そうだ。京極堂が半纏を肩に掛けてくれたので私には冷たいところが無い。

「・・・なんだね? さっきからちっとも目を瞑ってないじゃないか」

 どうしてそんな事が、京極堂の位置から分かるんだ。殆ど顔を俯けているというのに。

「君の顔が座卓に映っている。でかい目が、じっと座卓を睨んでるのが丸見えだ」

 私は慌ててぎゅっと目を閉じた。

「今更、目を閉じても無駄だよ。何を見てたのだね?」

 答えは分かっているのじゃないか? 意地悪な奴だ。

「べつに、何も」

「見てただろう?」

「木目を見てたんだ。綺麗だね津軽塗り」

「――眠かったのじゃないのか。全く、寝るのか起きるのかはっきりしたらどうだ」

 寝るよ。

 ぶっきらぼうに呟いて、私は後ろに転がった。今度はしっかり目を瞑る。京極堂の掛けてくれた半纏はとても暖かくて、誰かの体温を背中に感じているような気になる。薄闇が広がる。昼間から他人の家に遊びに行き、無駄話をするのでもなく、生産的に仕事をするのでもなく――ただ昼寝をしに来ているのだ。いい身分だな。寒いといえば、文句を言いつつ半纏を持ってきてくれる友人が居て。まったく。何だかんだ言って世界は私に優しいじゃないか。ああ、世界じゃない、京極堂が優しいんだ。
 馬鹿な事を思うと、体が浮遊する気分を味わって、眠気が襲った。


「…冷たい…」

 顔に冷たいものが触った。冷たいものを反射的に掴む。

「――君がまともに口に出来る言葉は不満と欲求しかないのか。呆れるね」

 薄く目を開くと、京極堂の仏頂面が視界に有った。私の額に触った冷たいものは京極堂の指だったようだ。やっぱり冷たい指だった。本ばかり読んでいるからこんなに冷たい指になる。暖めたくなって、掴んだ京極堂の手を私の顔に寄せて縋るように頬ずりをしていた。京極堂は暫く何も言わず、私の好きなようにやらせていたが、幾分時間がたつと、ぽつりと言った。

「――なんだね、甘えているのかい?」

「違うよ。暖めているんだ。本ばかり読んでいる所為か、君の手は冷たいから」

「今日の君は、全く調子が狂うよ」

「京極堂が気紛れにまともに私を扱うからさ。それ相応の行動を取りたくなる」

 京極堂が小さく笑った。

「君、縋りついている様だぜ」

「様、じゃない。実際に縋りついているんだ」

 私は京極堂の手を握ったまま、また目がトロトロと瞬いた。噛み殺そうとした欠伸が唇から漏れる。京極堂が、空いている手で、私の髪の毛を梳く様に撫でだした。

「関口君。君は僕に飼われた方がいっそいいよ。いつも頭を撫でてあげよう」

「それも、いいかもしれない」

「――馬鹿。冗談だよ。いい加減起きたまえ。夕食を食べていくといい。千鶴子――」

 京極堂はぺしっと私の頭を叩くと、細君の名を呼んだ。現実に引き戻された。細君を呼ばれては、私もいつまでも京極堂に縋っているわけには行かない。京極堂の手を離して、ムクリと体を起こした。冷たい手でも、手の中に無いよりはマシなのだなと、その瞬間悟った。
 つい自分の手の平を眺めてしまう。そんな私を見て、京極堂はくすりと笑ったようだった。

 京極堂の手は冷たいが、本当は甘く暖かい。そんな手を私は恋しいと思った。
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