夜も深まり、現職大統領の勝利が報じられる頃、中禅寺はTVから興味をなくしたらしく、NHKからバラエティ番組へとチャンネルを変えた。
本人はバラエティなどは無くなれば良いんだと、物騒な事を口ではを言っていたが、他の酔っ払いへの配慮らしい。

関口の顔は既に真っ赤だった。酒には弱いようだ。目が潤んでいる。
大丈夫だろうかと思っていると、尻のポケットから何か取り出したと思ったら煙草だった。
ソフトボックスから覚束無い手付きで一本取り出し、口に咥えると、テーブルの上に転がっていたライターを拝借し、火をつけて深く吸った。僕はその動作を意外に思いながら、興味深く見詰めた。良く慣れた動作だ。中禅寺が教えたものか。

「関君、煙草吸うんだね」

「――大学では、最近肩身が狭いから吸うことは無いけれど。一日二、三本程度ですが」

「体に悪いよ?」

「酒だって体に悪いですよ」

「酒は良いんだ、楽しいから」

「煙草は楽しくないから駄目…ですか。榎木津先輩は吸わないんですね。楽しくなくても、体に悪くても、僕には良いんです」

「良く分からないなぁ。税金の塊だ。煙草を辞めてその分を本でも買って読みたまえ」

関口は笑って首を振るばかりだった。

「美味しいのかい?」

「不味いですよ。煙ですからね。でも、煙草を吸うと、思考が停止する。僕にはそういう時間が必要なんです。考え過ぎない事が」
分からないなと内心首を捻っていると、いつの間にか関口の隣にいた中禅寺が口を挟んだ。

「関口君はね、下手の考え休むに似たり、なんですよ。榎木津先輩」

「休んでいるのか?」

「関口君は休んでいるように見えても、逆にグチャグチャと愚にもつかない事を一生懸命考えて疲れ果ててしまうんです。だから、薬物にでも頼って、脳味噌を休ませるんだ――と関口君は云いたいらしい」

「薬物って…酷い云い様だよ」

「煙草も立派な薬物だろう。煙草を吸っていたって脳味噌を休められる訳ではないし、人によっては脳味噌の回転が速くなるという人も居るが、実際にはニコチンの所為で血管が収縮して血が止まる。だから、関口君の言う、思考が停止するという方が正しいのだけれど」

――半分以上は思い込みだ。と中禅寺は言って、ビールを飲み干した。
中禅寺はずっと酒を飲んでいるのに全く表情が変わっていない。素面と変わらない。こいつも相当酒には強いようだ。
しかし、中禅寺という男は関口の事を全てお見通しのように喋るのが気に掛かった。
そして、関口はそれを否定しない。
それというのは、関口巽という男は、外観を与えられたら、それを否定できるほどの判断材料を持たない男なのではないか? つまり、何事にも経験が浅すぎるのだ。

中禅寺はそれが分かっていながら、楽しんでそういう事をしている節がありそうだ。そう思い至ったら少し、むっとした。すると勝手に口が喚きだす。

「じゃあ、カラオケだ! 大声を上げて歌えば下らん事は考えられないぞ! 要は、関君は楽しい事を知らないんだな? なんてつまらない! 僕が色々教えてあげよう! 感謝しなさい!」

「カラ、オケですか…?」

「そうだ! カラのオーケストラ、KARAOKE、だっ! 僕とのカラオケは楽しいぞ?!」

「はぁ」

「煙草なんか吸ってラリってるより、全く楽しい! よし決定、絶対決定っ! 明日も明々後日も後明後日も、ずっとカラオケっ!」

「ほ、本気ですかっ!?」

「僕は嘘なんて吐いたこと無いっ! 本気ったら本気なんだっ! なんなら、今から大学に忍び込むぞっ! 講堂で大カラオケ大会だーっ!」

「榎木津先輩…無理ですそれは。守衛がちゃんと見回ってるんですから、この大学は…」

「なんだよ、中禅寺、水をさすなっ! お前らが、下らない事を云うから、僕は肚が立ったっ! 守衛なんか勿論僕の敵じゃない! 蹴散らすっ!」

「榎木津先輩、停学になっちゃいますよ…カラオケ行きますから、止めてください…」

「停学ってなんだっ?! 食えるのか、ソレっ! そんなものはどうでも良い。関よ、来いっ!」

「いい加減、寮に帰らないと、不審に思われますよ」

「僕は心配ない! 寮には修ちゃんがいるっ!」

何だか良く分からない不機嫌さに任せて僕はすっくと立ち上がり、携帯電話を取り出した。履歴から番号を一つ選び出す。

「あ、修ちゃん、僕は今日帰らない! 一年の関口も帰らない! 中禅寺も帰らない! 他は知らないっ!」

「ああっ?! 礼二郎、お前何を言っている?!」

「だから、カラオケ大会なんだっ! 講堂でっ! 生音だ」

「もっと訳わかんねぇよ!」

「寮の方は適当に誤魔化しておいてくれ、そして、非常口の窓の鍵を外しておくんだ! じゃあっ!」

携帯を切って周りを見渡すと、関口は困ったような怯えた表情をしていた。中禅寺は呆れ返った顔をしていた。僕は他の部員に指示を飛ばす。

「部員A! お前は先に講堂に行って鍵開けて来い! 五分だ」

「本当にやるんですか…?」

「だからさっきから云っているだろう! 僕は嘘吐いた事が無いと! 部員B! お前、ベース、ドラム、エレキギター、エレキバイオリンにウッドベースとトランペット、アンプ、マイクにスピーカ、用意しろっ! 15分待つ! 部員Aが鍵を開いたら、速攻で持ち込め!」

部員は酔っていただろうが僕が怒鳴ると、一つ返事でケラケラと笑いながら部屋を出て行った。関口は呆気に取られている。

僕はまた携帯電話を取り出した。コール三回で下僕の声。

「おい、益田! 今暇じゃなくても、大学へ来い! 講堂だ! 面白い新人歓迎会だ」

「榎木津さん、何言ってんですか? 僕、明日合コンなんでもう寝たいんですけど」

「祭りだよ! 腕の見せ所だ益田!」

「まあ、寮なんでバイク飛ばせば、5分ほどで着きますけど。どうせ明け方まで騒ぐんでしょ? 合コンを棒に振っても良いような、可愛い子でも居るんですか?」

「居る居る、とびっきりだ。その子がウチの部に入った。それでカラオケなんだ、時間が無いから今すぐ来い!」

「ええ、まじっすか! 榎木津先輩が言うほどの可愛い子が居るってんなら、勿論行きますよ!」

「何度も言うが、時間が無い、飛んで来い!」

「あいあいさ〜!」

調子のいいやつだ。気の抜けた返事が聴こえたかと思うと、通話が途絶えた。

「榎木津先輩…可愛い子ってまさか関口のことですか」

携帯を切った途端、引きつったような表情で中禅寺が詰め寄ってきた。

「中禅寺のことじゃないよ勿論。良かったな。益田を担ぎ出すには、色気が必要なんだ。関君も可愛くないとは云えないしな。そんなことはどうでも良い。後は、守衛だ。中禅寺、君は頭が良いだろう? 多分。引きつけておいてくれ」

「馬鹿じゃないのか、どうして僕がそんな事に加担しなきゃならないんですか。僕は守衛に云いつけこそすれ、足止めなど誰が」

「僕は中禅寺を巻き込む。事情聴取のときに間違いなく、中禅寺秋彦の名前を出す。中禅寺も楽しめば良い」

中禅寺は大きく溜息を一つ吐いた。

「――全く。僕を借り出すと高くつきますよ」

「代金は関君から貰えば良いだろう」

「ええっ! 何で僕なんですか」

「元はといえば、君がこの人の目の前で煙草なんか吸うからだ! 君はこれから半年、僕の荷物持ち決定だからな。覚悟してくれ」

中禅寺は物凄い不機嫌な顔でそう云うと、すたすたと部室を出て行った。関口は目を大きく見開いて友の背を見送った。

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