― 9 ―
 不意に目が覚めた。毛布からはみ出していた肩が冷えて覚醒を誘ったのだろう。朦朧とした頭で、状況を把握しようと五感を稼動させる。ふう、と私の髪に何か微風が掛かった。なんだろうと思って背後を振り返ると、榎木津の綺麗な顔があったのだった。彼が安らかな表情で、規則的に寝息をたてていた。
 温かい、確りした腕が私の腰に絡んでいた。榎木津の腕が私を抱きかかえている。
 私達は榎木津の部屋で眠っていた。
 榎木津の部屋は衣服だとかイゼールだとか、模型だとか楽器だとか様々なものが混在していて雑然としている。その中心にベッドが鎮座しているのだ。凡そ、日常生活に必要だとは思えないものばかりがあり、時間さえ、良く分からない。
 ただ、安和寅吉が精力的に働く時間ではないようだった。台所だとか、応接室が静かなのだ。まだ、彼が戻ってきていないのかも、しれなかった。
 榎木津の腕を外して、私は体を起こした。ベッドに腰掛ける。――寒い。当たり前だ。私は全裸なのだし。

 この部屋で眠りに付いたのは、一体何時だったのだろうか。
 ソファで何度か性交し、その後榎木津と風呂場に向かい、お互いに体を洗いながらまた何度か性交し――体を洗いながら性交するとは意味が無いではないか、と今更思って恥ずかしくなった。それからちゃんと体を流して、私は湯当たりしてしまって、真っ赤な猿がいると榎木津に笑われながら、拗ねたフリしてそれでも榎木津と一緒のベッドに入り――そこから記憶が無いから、眠ってしまったのだろう。榎木津の際どい動き方をする手癖を、体で感じながら。あれは――夢だったのかもしれない。私の身勝手な願望だったのかもしれない。私はそう思った。実際そうだったらなら、立ち直れない癖に。直ぐに自らを追い詰める想像をする頭。

 ああ、煙草が欲しい。口寂しいから。

 私は榎木津の衣服の山から、適当にワイシャツを引っ張り出して肩に掛けると、煙草が無いか辺りを見回した。足元のガラクタを避けてみるが、見つからない。そういえば、榎木津は煙草を吸わないのだったか…。
 私は煙草を諦めて、ベッドから立ち上がった。背後を振り返って榎木津を見る。彼の柔らかそうな栗色の髪の毛が、陽の光に当たって綺麗だった。――好きだ。そう思ったが、思っただけだ。思った所で、何も、現実は変わりはしない。私に――現実を変える力は無いのだ。好きだと思うだけ、惨めになる。

 肩にシャツを引っ掛けた格好のまま、私は部屋を出た。電気が付けっぱなしの応接間には、私が脱ぎ散らかした衣服が、くしゃくしゃになって落ちていた。それを拾い集めて身に付ける。やはり、探偵事務所には私と榎木津の他に、人間はいないようだった。
 私はソファに腰掛けた。体が節々痛いし、腹も空いた。外は薄明るかった。掛け時計は、午前六時半過ぎだった。
 …まだ少し早い。しかし、私が榎木津の元を去るには、丁度良い時間かもしれない。
 榎木津を見ていると、ずっと傍に居たくなるから、彼が起きる前に此処を出て行く事に越したことは無いのだ。――此処を出て行きたくないと、矛盾した駄々を捏ねる可能性だって、ある。
 そんな事を云ったら、榎木津はどうするのだろう。――否。私は判っている。多分、好きなだけ此処に居ればいいと云うのだろう。その言葉に、多分、私は甘えてしまう。雪絵を差し置いて。――それでは駄目だ。

 洗面所を借りて洗顔を済ませ、応接室に戻り、部屋の電気を消した。電気を消すと、応接間は薄青い世界だった。

 朝の静寂に榎木津を一人残して、私は此処を出る。私は此処の住人じゃないのだから当たり前だが、何故か、目頭が熱い。――私が一人、元の場所に帰るだけなのだ。間違っちゃいけない。だけど――榎木津の腕の中から出て行きたくはない。

 私は静寂を噛み締めて、此処の住人じゃない事を悔やみ、靴を履く。どこか頭の片隅で、榎木津が目を覚まし「まだ行くな」と言ってくれるのを待っている。しかしそんな奇跡は起きやしないのだ。
 ガラス戸を閉ざす前に、一度だけ榎木津の眠っている部屋を振り返り見て、私は階段を下りた。


「ただいま」
「――タツさん。お帰りなさい」
「うん。――雪絵、すまなかったね。もう少し――しっかりするよ」
「何言ってるんですタツさん。此処にさえ、帰ってきてくれれば、私は充分なんですよ」
「――そうか」
「タツさんは朝ごはん、未だなんじゃないですか。一緒に頂きましょう。――タツさん、目が赤いわ。どうなすったの? 大丈夫ですの?」
「これは――。二日酔いの所為だ。少し呑みすぎたんだ」
「ふふ。そう。今日の活動写真、無しにします?」
「いや。大丈夫だよ。折角だから、観に行こう」
「無理なさらないで下さいね」




 カサブランカ。女の身勝手さに我が身を重ねて、泣いた。


― 了 ―


わぁ、ここまで読んでくれた方、本当にいらっしゃるのかしら…!っていうかこの時代「カサブランカ」が本当にやってたかも
分からないし、しかも管理人カサブランカをちゃんとは見たことないし(汗)
鳥ちゃんの年齢はいくつだっけ。今更調べる気にもなれなかったっす。そして絶対社宅じゃないね。彼が住んでたところ。
たしか。もう色々適当すぎて笑えるわ〜。

題名の「ピンボールゲーム」っていうのは、関口が色んな男の所をピンボールゲームの玉のように
行ったり来たりするってことで。最終的には雪絵のもとに戻るというオマケつき。
説明しないと分からない題名ですね…!
京極が最強のヘタレでごめん!薀蓄は適当に聞き流してね!
鳥君がかわいそうでごめん。榎さんが存在感薄かった。もっとエロのときに自己主張させよう、今度から。

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